文字でのコミュニケーション †佐世保の小学校の事件の話の続き. ニュースで報じているあたりを見ている感じでは
というあたりがきっかけではないかな,と思う. そこから実際の行為にいたるまでは何か,というのはわからないけど. 以下,一般論. ニュアンスの欠落 †一般的に文字でのやりとりでは,音声でのやりとりよりも,かなり情報が落ちるものである. 例えば「ばか」という言葉. 文字では単に「ばか」である. が,音声では
だし
である. 文字ではここらのニュアンスがずっぽり抜け落ちてしまうのである. で,文字上で抜け落ちるこのようなニュアンスを伝えようとして発生したのが「顔文字」なのではないか,と思う. 長いラウンドトリップタイム †あと「ラウンドトリップタイム」の影響,というのもある. 電話の場合,会話はリアルタイムであるから,例えば
と,A→B への情報のあいまいさは即座に補正される. が,掲示板やメイルでのやりとりでは,このやりとりが行なわれるのにかなりの時間を要する. その間,B はずっとムカついてるわけである. 他人の文章の読み方 †あと,「人が書いた文章は,以上のことを踏まえて読む」というのも重要である. その文章を読んで「ムカッ」と来ることはあるかもしれないが,それは書き手側が舌っ足らずだったのかもしれない. というか,多分そうである,というぐらいの心構えの方がいいかな. まぁ,そんな感じで読んだ方がいいと思う. またもやインターネット, †ということにされてしまうのかなぁ,佐世保の小学校の事件も. 食堂にあった新聞を読んでそう感じたのであった. そもそも,このような論調の裏には
という,決めつけがあるように思う. つまり,書き手は未だに「いんたーねっと」を「よーわからんもの」として捉えているんじゃないかな,と. 確かに web のシステムの根幹を成している Internet というものは,ハイテクでよーわからんものかもしれない. が,現在では,そんな,よーわからん理屈は抜きにして利用することができる (最初のセットアップのときは,「よーわからん」部分に触れることはあるかもしれないが,そんなのは最初だけで,大抵の人はすっぽり忘れてるはずだ). だいたい「電話」だって利用者のほとんどは通信経路のプロトコルについては知らないが,それを理由に電話の使用をためらう人はいない. 「世界中から同時に読み書きできる掲示板」とかいうのはハイテクなしでは実現できないのだろう. が,掲示板で実現できる世界の効用と限界については,ハイテク抜きで論じることは可能だし,ハイテクは不要である. 掲示板では,文字情報のやりとりが主である. その世界は,むしろ電話発達前の手紙の世界に近いんじゃないかと思う. で,文字メディアの雄である(んだよね,きっと)新聞が,電話よりも自分に近いものを「未知のもの」扱いしているというのは,皮肉を通り越して滑稽にも思える.
と,まぁ,こき下ろしてみたけど,さすがに今では「インターネット」で思考停止するほど新聞もバカではないようである. が,やはり見出しあたりにはその名残があるように思えたりもするのである. 鳥のフン †車の屋根に鳥のフンが付いているのを発見. ティッシュで拭う. すると…車体の色まで落ちてるではないかい. つまり,塗装が溶け出してる,ということになる. 「鳥のフンは車の塗装を痛める」という話を聞いたことがあるがこういうことだったのね. 写真 †これも昔撮影した写真. 最後に乗ってたバイクです. 本日のツッコミ † |